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津地方裁判所 昭和30年(ワ)41号 判決 1956年3月19日

原告 清水裙雄 外一名

被告 林由松 外一名

主文

被告等は各自原告両名に対し各金百八万二千円及びこれに対する昭和三十年四月十三日から右支払ずみに至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の連帯負担とする。

この判決は原告等において各被告に対し各金三十万円の担保を供するときは当該被告に対し仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

昭和三十年一月十七日午後九時四十分頃津市伊予町国道第二十三号線において被告角谷清の運転する貨物自動車と亡清水達夫が衝突し、右達夫が右衝突による負傷のため同日午後十時四十五分死亡したことは本件当事者間において争いのないところである。

よつて右衝突が被告角谷清の過失に因るものであるか否かについて案ずる。証人伊藤忠治、同西川ふじ、同小笠原清二同尾上良一の各証言及び被告角谷清本人尋問の結果(第一回)並びに検証の結果を総合すると、右達夫が右日時頃津市柳山定時制津実業高等学校より帰宅の途中、同級生の訴外伊藤忠治及び同西川ふじと共に自転車に乗り津市伊予町国道第二十三号線(西側へ拡張増幅せられたため旧道路のコンクリート舗装道路の幅員十米五十糎、拡張部分未舗装六米七十七糎)を北進中、被告角谷清は被告林由松所有(本件貨物自動車が被告林由松の所有であることは当事者間に争いがない)の貨物自動車を運転し同市岩田橋方面から南進してきたが、自動車運転手たるものは常に前方を注視して運転操縦すべき注意義務があるのにかかわらず被告角谷清はこれを怠り、右岩田橋を通過してまもなく居眠りして運転したため右道路東側井田病院手前附近にさしかかるや誤つて急に進路を右(西側)に転回し、右道路の舗装道路と未補装道路の境附近を進行していた右達夫他二名の方向に暴進したため、右達夫に右貨物自動車を衝突させるに至つたことが認められる。又証人尾上良一の証言及び被告角谷清本人尋問の結果(第二回)を総合すると、同被告の右運転中における居眠りは同日における同被告の腹痛下痢と午前七時半より午後九時四十分までの間の長時間に亘る自動車運転による疲労とに基因するものであることが認められるが、かかる場合運転者たる者は直ちに運転操縦を中止しその回復を待つてその運転を継続すべき注意義務があるのにかかわらず被告角谷清が慢然として運転を続け右腹痛と疲労のため運転中に居眠りをして前方注視を怠り右事故を惹起するに至つたのは同被告の過失によるものであることは明らかである。

つぎに被告林由松が被告角谷清の使用者であることは本件当事者間に争いがない。しかして証人尾上良一の証言及び被告角谷清本人尋問の結果(第一回)を総合すると、右事故は被告角谷清が同日被告林由松の材木を右貨物自動車に積載して三瀬谷町から鈴鹿郡椿村へ行き、該材木を降して引返す途中の出来事であることが認められるから、右事故は被告角谷清が被告林由松の事業の執行につき右達夫に加えた不法行為であるということができる。然らば被告林由松は被告角谷清の右不法行為につき民法第七百十五条により使用者として損害賠償の責任を負うべき筋合である。ただこの点に関し被告林由松は被告角谷清の選任及び事業の監督につき相当の注意をなした旨抗辯するのでこの点につき案ずるに、被告林由松本人尋問の結果によると同被告は被告角谷清を昭和二十八年十一月自動車助手として採用後、被告林由松方で運転の練習をさせて自動車運転免許をとらしめ、その後本件事故に至るまで約一年の間自動車運転に従事せしめていたこと、被告林由松は平素運転手の過労防止のため常々二名の運転手を雇い深夜まで稼働せしめることを避け、又無事故者には特別の手当を出し、毎日始業前被告林由松自ら自動車を点検し、運転手に対しては運転中に睡眠を催した場合の注意を与える等諸般の注意をしていたことが認められるから、被告林由松が自動車事故防止のため平素可なりの注意を払つていたことはこれを認め得るが、前記認定のごとく、本件事故発生日には被告角谷清は腹痛、下痢のためと午前七時半頃より午後九時四十分頃までの長時間の労働のため本件事故発生当時相当疲労していたことが認められるから、被告林由松がかかる健康を害している被告角谷清をして十四時間以上も貨物自動車を運転せしめたことはその事業の監督につき相当の注意をなしたものということはできない。よつて被告林由松の抗辯はこれを採用することができない。

然らば被告角谷清は不法行為者として、被告林由松は被告角谷清の使用者として、各自右清水達夫が蒙つた損害及び清水達夫の父母であること本件当事者間に争いのない原告等に対し、民法第七百十一条に基く損害を、それぞれ賠償しなければならないものというべきである。

よつて右事故により清水達夫の被つた損害額について判断する。成立に争いのない甲第二号証によれば右清水達夫は昭和十年一月十六日出生し、本件事故発生当時満二十年であつたことが認められ、又成立に争いのない甲第一号証及び原告清水裙雄本人尋問の結果を総合すると、右達夫は生前身体健全で原告等家族を以つて組織する有限会社清水煎餠店の社員として働き、本件事故発生当時は右会社より衣食住の外に俸給として一ヶ月金七千円を支給せられていたことが認められる。しかして厚生大臣官房統計調査部刊行の第八回生命表によると満二十年の日本人男子の余命平均年数は四〇・八九年であることが認められるから、右清水達夫の余命は少くとも四十年と見積ることができる。然らば右清水達夫が将来四十年間右会社員として勤続した場合における収益を計算するに同人は生活費は一切右有限会社清水煎餠店において支給せられるものと認められるから同人の一ヶ年の純収入は金八万四千円であり、今後四十年間の総収入は金三百三十六万円であることが計算上明らかである。従つて同人は右事故により右金三百三十六万円の得べかりし利益を喪失し同額の損害を蒙つたものというべきである。但し、右金三百三十六万円は、今後四十年間において漸次得べかりしものであるから今一時にその損害の賠償を求める場合には「ホフマン」式計算法により右金額より年五分の法定利率による中間利息を差引いた金額を損害額として請求すべきである。よつて今後四十年間に得べかりし右金三百三十六万円を「ホフマン」式計算法によつて計算するとその現在における価額は金百八十一万七千九百七十九円となることが計算上明らかである。

然らば右清水達夫は死亡当時において被告等に対して金百八十一万七千九百七十九円の損害賠償請求権を有していたわけである。しかして右達夫には妻子がなく、その死亡により原告両名が右達夫の権利義務を相続したことは当事者間に争いのないところであるから原告両名は被告等各自に対しその相続分に応じ各右金額の半額金九十万八千九百八十九円の損害賠償請求権を有するものというべきである。

つぎに原告等の慰藉料請求の点について判断する。原告清水裙雄本人尋問の結果によると右清水達夫は有限会社清水煎餠店の社員として自ら自動車を運転して販売、集金、外交等に従事し、かたわら定時制津実業高等学校に通学し本件事故発生当時同校の四年生にして卒業直前であつたが、病気の父(原告清水裙雄)及び兄に代り将来一家の中心たることを嘱望せられ、両親である原告両名の達夫に対する愛情と将来の希望は一方ならぬものであつたことが認められる。これらの事実とその他本件諸般の状況を参酌するとき右達夫の死亡により原告両名の蒙つた精神上の苦痛は原告等両名が各自被告等より金二十万円ずつを受領することによつて慰藉せられるものと認めるを相当とする。

しからば被告等は各自原告両名に対し右損害金及び慰藉料を支払うべき義務があるものというべきであるから、被告等各自に対し右損害の範囲内である金八十八万二千円の損害金及び金二十万円の慰藉料合計金百八万二千円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から右支払ずみに至るまで民法所定の各年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告両名の本訴請求は正当として認容すべきものである。しかして被告等に対する本件訴状送達の日の翌日が昭和三十年四月十三日であることは本件記録上明らかなところである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項但書を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用したうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 米山義員 西川豊長)

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